社会基盤をなす公共インフラの安心・安全を経験豊富な建設専門技術者により構築します。

ホームページタイトル写真の説明:稚内港北防波堤

                   ホームページのタイトル写真 
                     稚内港北防波堤ドーム
稚内港北防波堤ドーム
       

       撮影:西山芳一氏(にしやま ほういち・土木写真家)
       1952年東京都生まれ 東京造形大学デザイン学部写真学科卒
     (  有)キャンプ代表 土木を撮る会事務局長

 主に日本全国の施工中、竣工直後の土木構造物を撮影。最近は古いコンクリートダムを中心に、近代の土木遺産も撮影している。土工協機関誌 「建設業界」 [知られざる100年プロジェクト]文 伊東 孝(Ito Takashi)日本大学理工学部社会交通工学科・教授等の写真連載中。
(撮影日は2001年2月15日、零下30度に近い記録的な寒さの日であった)

 日本最北端の風の街、稚内の港の北側は、強風と高波に一年中見舞われる。頑強な波よけの防波堤の建設が必要とされ、昭和6年(1931 年)1月、北防波堤の波よけ工事の施工が決まった。その設計を命じられたのが稚内築港事務所へ赴任してきたばかりの26歳の技師土谷実で、当時はまだ発展途上だったコ ンクリート工事の知識を北海道帝国大学で学んでいたため、この大事業を任された。しかも4月の着工に間に合うように設計を終えるという厳しいスケジュールで、強度計算から図面作成、工事の指揮などそれらのすべてを土谷ひとりで行なったという。
昭和11年(1936年)まで5年の歳月をかけて完成したのが、北防波堤ドームである。古代ローマ建築を思わせる太い円柱と半アーチ型の回廊を持つ波よけ(延長424m,高さ13.2m)として世界でも珍しい構造物であった。
当時、稚内と樺太の大泊(現・コルサコフ)を結ぶ稚泊連絡船へ乗降する際、また稚内駅から桟橋までドームに沿って走る列車からも、稚内港のランドマークとして親しまれた。しかし、昭和20年(1945年)終戦により稚泊航路が終焉からは、稚内港,稚内市のシンボルヘの役目に代わった。
 それから半世紀後の昭和 53年(1978年)、老朽化したドームに全面的な復元工事が施された。旧ドームの面影をそのまま残すように忠実に復元されたことは、シンボルとしての稚内港北防波堤ドームに対する人々の思いの現れであった。
現在この美しい北防波堤ドームは、日本の歴史的土木遺産として、また稚内観光のスポットとしても、地域の人々に愛されている。 (稚内駅から徒歩で約5分の所にある。)

 「稚内港北防波堤ドーム」については、「土木遺産 Ⅲ 日本編」
(社)建設コンサルタンツ協会 編 ダイヤモンド社 2010/11刊
                        p.10~21 に詳しく解説

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional